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弁慶ゆかりの地~和歌山県田辺市
弁慶ゆかりの地~和歌山県田辺市
- Posted by: 管理人
- 2008年7月 2日 11:57
- 4|弁慶伝説
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今から800年余り前、武蔵坊弁慶は熊野水軍200余艘・2000余りの兵と共に田辺の牟婁の津より壇ノ浦に向けて出陣し、見事平家を打ち倒しました。
今でも弁慶は、紀伊田辺駅前の弁慶像に姿を変え、産まれ故郷の行く末を鋭い眼差しで見守っています。
ここ田辺市は、弁慶生誕の地ということもあり、ゆかりの場所や品が数多く存在します。田辺市にお越しの際には、弁慶めぐりをされてみてはどうでしょうか。

允恭(いんぎょう)天皇8年(410)の創建。
古くは新熊野鷄合大権現(いまくまのとりあわせだいごんげん)と呼ばれていたものが明治維新の折、闘鶏神社と改められました。
闘けい神社は、壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社です。名の由来は、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父である熊野別当湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものです。境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があります。
そのほかにも、神社の社務所には源義経が奉納したといわれている笛(銘白竜)、弁慶産湯の釜、弁慶の父湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。

弁慶の腰掛石は、闘鶏神社から歩いて10分程の所にある、田辺第一小学校近くの路地脇に、八坂神社なる小さなお社が祀られています。
そこにあるのが「弁慶の腰掛石」。弁慶が少年時代この石に座っていたと言われており、お尻の形の窪みができています。

扇ヶ浜公園内の噴水のすぐ近くに、熊野水軍出陣の地碑が建てられています。
この碑は、熊野水軍二百余艘、二千余の兵を引き連れて、弁慶の父である熊野別当湛増が、文治元年(西暦1185年)扇ヶ浜から
壇ノ浦に向けて出陣した史実を後世に残すため、昭和47年10月に建立されたものです。

 
田辺市役所駐車場入り口の庭園に、武蔵坊弁慶にちなんだ「六代目弁慶松」が植えられています。
弁慶松の記録は、今から四百年あまり前の天正十八年(一五九〇)から残っています。
現在の弁慶松の親に当たる五代目弁慶松が、田辺の偉人南方熊楠と同じ時代を生きていました。
弁慶松のすぐそばには、弁慶の産湯を汲んだとされる弁慶産湯の井戸が残されています。

県文化財に指定されており、指定書によれば鎌倉期とされています。
像は全体に煤黒く、胸にようらくをかけ、右手に蓮花を持ち、左手に施無畏(せむい)印を結んだ坐像で、像高約1メートル、肩幅約55センチメートルの像です。
弁慶の父親である熊野別当湛増が源平合戦の時、壇ノ浦の決戦にこの像を軍船に安置して戦勝を博したと伝えられています。
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